大判例

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山口家庭裁判所 昭和41年(少)506号 決定 1966年4月13日

少年 N・T(昭二二・二・一生)

主文

少年を医療少年院に送致する

理由

(犯罪事実)

少年は

第一、昭和四〇年四月頃から北九州市戸畑区○○、株式会社○○工作所の工員として稼働していたが、同年暮頃から仕事に嫌気を生じ、欠勤を続けるようになり、昭和四一年二月○○日勤め先を退職するつもりで、無断で大阪へ遊びに行き、同月××日未明山口市大字○○にある両親の家の付近迄戻つて来たが、無断で勤先を飛び出したこと故、両親の家にあがることもできず、庭内の納屋に入って悶々の時間をすごすうち、うっ積していた感情が亢進し、他人を突き殺して気分を晴らした上自殺しようと思いつめるに至り、同日午前五時頃近隣の○屋○一方に侵入し、折柄就寝中の同人の妻○屋○子(四七歳)の枕辺に膝をつき、かねて拾得携帯していた切出し様刃物を逆手に握り、同女の頸部を突き剌そうとしてこれを振りおろしたが、狙いが外れて同女に全治約一〇日の前頸部切創を与えたにとどまり、更に同女が悲鳴をあげたため、第二撃を加えることを妨げられ、殺害の目的を遂げなかった。

第二

一  、昭和四一年二月○○日昼食頃北九州市小倉区○○町、株式会社○○工作所○○寮において、同寮止宿の工員○求○○人外一名所有の現金合計八、〇〇〇円を窃取し

二、同年同月××日午前〇時頃山口市大字○○○○○××××番地○辺○子方において、同人所有のパンテイ三枚(時価合計六〇〇円相当)を窃取し

三、前同日午前〇時一五分頃前同所付近○間自転車店軒下において、○久○美所有の自転車一台(時価七、〇〇〇円相当)を窃取し

四、前同日午前一時頃同市大字△△△×××番地○津○子方において、同人所有の手提袋一個(書籍及び型紙在中)を窃取した

ものである。

(適条)

第一の所為 刑法第一九九条第二〇三条

第二の所為 各刑法第二三五条

(要保護性)

少年は、本籍地においてN・S、N・K子の二男として出生した。父は郵便局の集配人、母は農業のかたわら日傭人夫をしていた同地で中学を終え、昭和四〇年三月宇部市の○○○○高等学校を卒業し、直ちに北九州市戸畑区の株式会社○○工作所に勤務し、昭和四一年二月○○日同会社を無断で飛び出し、本件非行をおかしたものである。非行歴としては、小学上級生の頃友人と共に女生徒にいたずらをして補導され、中学生から高校生の頃、女子の下着類を窃取し(窃盗)、顔見知りの少女の家へ侵入し(住所侵入)、或はその少女に脅迫文を送付した(脅迫)ことで、昭和三八年二月二〇日当庁において訓戒の上不処分となった。なお、少年の知能は準正常、中学時代の成績は中位から中の下位で、所謂精神薄弱者ではない。

問題は、本件殺人未遂の動機を理解するに必要な、少年の性格及び精神状熊である。山口少年鑑別所長医師広岡栄外一名作成の精神鑑定書によれば、本少年は「気が小さく抑うつ的で精神的打撃に対する抵抗力が弱い、わずかな剌激によっても毀損され神経衰弱的傾向を発生し易く、心因性心気症的傾向が認められ、かつ、前記の非行歴にあらわれているように性倒錯的傾向を伴う異常性格者である、但し狭義の精神病は現時点において認められない」というのである。また、当庁医務室医師高松茂作成の意見書によれば、「少年の性格は内向内閉非社交的で反面自我が強く、対人関係に鋭敏で感情うっ積をきたし易く、分裂性性格に属する、また性的関心が早期に成熟し、性倒錯現象をともなっている、少年の分裂性性格は中学から高校時代にかけ漸進的に強まり、更に就職して寮生活を送るようになって亢進し、昭和四一年一二月頃から頭痛がする、仕事が嫌になったといって怠けるようになり、その頃から軽度の被害妄想様観念と仮性幻覚(言語性幻聴)がみられる、これらの点からみて初期の破瓜型精神分裂病を疑うに足りる理由がある」というのである。

以上各専門的医師の意見並びに少年の生活歴、本件非行の熊様、少年の自供内容等を総合し、本件非行の原因は、少年の性倒錯的傾向を伴う分裂性異常性格が高度に亢進したもので、しかも初期の破瓜型精神分裂病を疑うべき理由も濃厚であると認められ、少年の健全な心身の回復、育成を期するため、早期の矯正保護を必要とするから、少年法第二四条第一項第三号少年審判規則第三七条第一項により医療少年院に送致することとする。

よって主文のとおり決定する。

(裁判官 後藤文彦)

参考1 少年調査票<省略>

参考2 簡易鑑別結果通知書<省略>

参考3

昭和41年少第506号

裁判官 後藤

調査官 河合

意見書

氏名 N・T

昭和22年2月1日生(19歳)男

上記受診者に対する診察の結果は次のとおりです

〔身体所見〕身長154.8cm、体重49kg、胸囲80.5cm、頭囲53.5cm。細長型体型の傾向を示し、栄養は中等度。皮膚・粘膜の乏血は著明でない。眼瞼結膜に濾泡を認める。二次性徴の発達はほぼ年齢相応で、陰茎や睾丸などの生殖器官の発育も正常である。脈搏は1分間搏動数68で規則正しい律動であり、血圧132/70mmHg。心界は正常、心音は清純、肺部の聴打診で異常を認めず、腹部は平坦で軟であり、肝をわずかに触診するが硬度は軟である。姿勢ならびに歩行は正常で、運動失調や運動麻痺は認められない。四肢に筋姜縮、筋強剛を認めず、手指のふるえも認められない。上肢ならびに下肢の腱反射は左右同等で正常程度であり、病的反射はいずれも証明されない。項部強直やケルニツヒ徴候などの脳圧亢進症候はなく、眼球運動、瞳孔(大きさ、形状対光反射)、顔面筋、舌などに異常は認められない。表面知覚にも異常はない。聴力には障害はなく、視力には屈折異常(両眼近視)がある。なお、過去に癲癇を疑うような痙攣発作の既往歴はなく、鑑別所での鑑定実施時の脳波検査でも正常脳波を示している。既往症としては、虫垂切除を受けた程度で特殊な大病はない。小学校6年時にトラックのチェーンが頭に触れて禿ができたが意識を失うことはなかった。

〔精神所見〕意識は明瞭で、日時、場所、対人的な見当識は良好に保たれている。面接時の印象としては、色白でやや不健康に見え、顔貌は仮面状というほどではないがかなりに生硬で、表情の動きが少い。それでも父親に出合った時はニッコリ笑ったという。奇異・不自然は表情や態度はないけれども、面接中に微かなひそめ眉の兆候を見かけることがある。身体の動きはどちらかといえば少く、不活発のほうであるが、落ちつきはあり、動作も自然である。応答は積極的に発言することはあまりなく、問われれば内省しながら正確に答えようとする努力は認められるけれども、語尾がハッキリせず、小声でブツブツ言うので聞きとりにくい。しかし、独語などは認められない。問意の理解は良好である。感情の大きな変化はなく、どちらかといえば気分は沈滞傾向を示している。とくに刺戟的な態度は認められないが、執拗に問いただされると横を向いて若干不気嫌になり、口の中でブツブツ不平を言う情景が見られた。精神疎通性(ラポール)は大体において保たれているけれども、打てば響くような生き生きとした感情反応は乏しいように思える。

知能は、中学時代は中下、農芸高校1~2年で中、3年で中下の学業成績であり、中学時代の集団式知能検査では3回実施の最良結果が知能偏差値47を示し、他は偏差値37および36であった。今回の鑑別所での結果は、田中ビネ式知能検査IQ81~86、新制田中B式IQ81であり、知能水準はやや低くて準正常級程度に位置づけられるけれども、事理弁別能力の非常に乏しい精神薄弱者などには該当しない。

すなわち、知的な面での理解・判断力は大体においてあまり見劣りしない。

性格は、少年自身と父親の陳述ならびに諸記録を総合して、次のように考えられる。一面では頑固のようだが、内気・小心で非社交的、自分から他人に話しかけることは少く、口下手で言葉もハキハキしない。根気はないが自分で気にいったことなら熱心にやりとげる。気分のむらはあまりなく、見栄をはったり浪費したりする傾向もない。また、とくに短気で乱暴というほどではない。農作業など身体のきつい仕事は好まない。几帳面ではない。なお、父親の陳述によれば、『幼少時には幼稚園に2年間通園し、他の同胞に比べて一番母親似で、朗らかで素直で可愛い子供だった。子供の数が多いので玩具類を多く与えることはなかったけれども、両親があちらこちらへ遊びに連れて行っており、ひねくれるようなところはなかった。母は自分に似ているといって可愛いがり、父は口ではやかましく叱ったが、折檻はしなかった。中学時代の成績は中下で、父は自家を継がすつもりで農芸高校へ進学させたのに、期待に反して農業を嫌い、学校の世話で、小倉へ就職してしまった。中学時代頃に弟達と遊んでいて急に大声で弟を怒鳴ったりすることがあり(仲は良いのに)、また朝寝坊をするので母が起すと「煩い」と口答えしたりして多少反抗的にみえることがあった。そういう点ではいくらか変っているように思えたが、乱暴をしたり家出をするようなことはなかった。高校時代頃から憂欝そうで口数が少く、家族ともあまりうちとけない。弟がからかったりすると本気で立腹して大声を出したりしていた』という。すなわち、少年の性格は、内向・内閉・非社交的であって、反面では自我が強く、引込思案であるわりに対人関係に鋭敏であるために感情欝積を来し易く、些細な刺戟で過大な反応をまねきがちである。現実場面では思考の融通性に乏しい。すなわち一言でいえば分裂性性格に属している。そのほか、肉体作業に対する耐忍性はあまり強いといえず、身体の疲れや痛みを訴えて、心気症的傾向をいくぶん示すけれども、日常臨床的にみられる神経症患者ほどに多彩で具体的な自覚症状をもっているわけではない。会社の早番を休む時に訴えていた疲労感や筋肉痛は一次的な症状ではなくて、むしろ会社を休むための口実にすぎないと考えられる。自己顕示性、爆発性などは元来は強いとは思えない。ところでこのような分裂性性格は、少年の幼年期から固定的にそなわっているのではなく、父親の陳述によれば、中学・高校時代から発展的に強まっている模様である。急激な性格変化ではないけれども、漸進的な性格変化といえるのではなかろうか。このことは分裂病の発病を考える場合に無視できない事柄である。

少年には、昭和36年3月から7月にかけて〔中学から高校初期〕、自宅近辺での多量(パンティー32枚シュミーヅ26枚)の女性下着盗(主に干物)があり、それを身につけてみたり、匂いをかいだりする拝物愛行為があった。また、その頃に入浴中の婦人裸体をのぞき見する窃視行為が数回ある。小学校6年時には同級女生徒に対するわいせつ行為があった。高校時代に1回、自宅で親戚の男性と隣の婦人との性交を偶然に目撃したことがあるというか、自身の性交経験はないという。高校時代から自慰行為がはじまり、就職後は週1回位の頻度であるが、その場合に性的な空想をしているという。小倉では裸体雑誌を1册所持し、ストリップショーを見に行ったことが1回ある。このように性的な関心は割合に早期から強くあり、性倒錯現象を伴っている。しかし高校1年時の干物盗発覚以後は盗みをやめており、今回の事件当日にパンティー3枚を盗んで所持したのが久し振りであるという。殺人未遂事件の非行動機は、了解困難な点が多い。

本人は「人を殺したら、自分の気持がスーツとして晴ればれするだろうと思った。自殺するつもりだったので、その前に大きなことをしてみたかった」と陳述し、自宅に帰る前に被害者宅をのぞき見したときから具体的殺意を持ち、逃走の便利を考えて、午前5時頃まで待ったのだという。明かに殺意があったことを認める。逃走のための現金盗の意思もあったことを肯定しているが、それは附加的な動機にすぎないようである(実際に、その当時に約7,000円所持していた)。被害者宅は、以前に本人が下着を盗んだことのある親近感をもつ女性の住んでいた家であるが、その女性が転居ずみであったことは本人もよく知っており、被害者とは面識がなかった。殺人による性的慾望の満足のためと解釈すれば、一応の説明は可能であるけれども、このようなサド・マゾヒズム行為だけで充分に解釈出来るとは思えない。

本人は小倉で昭和40年春から就職して寮生活をしていたのであるが、職場の上長や寮母達に対する対人関係上の障害がかなり著明である。初期には熱心に仕事をしていたのであるが、昨秋11月頃から早出勤務を嫌い、起されても蒲団にもぐって欠勤する日が増えてきていた。それが今年の2月頃には一層目立つようになったので、そのための悪評も多少あると思うが、少年自身の主観的な立場では、休んでいるときは絶えず寮母達が自分の悪い噂をしたり、あてつけの皮肉を言ったりすると思い、職場でも上長が自分を強く叱ったり疎遠にすると思っていた。その実感は、一般具体的に予想される程度をはるかに越えて、「周囲の世間の者が全部、僕をいじめたり、馬鹿にする。僕だけに意地悪をされるみたいだ」と述べられており、被害妄想的な感情緊張状態が続いていたことがわかる。「12月頃から会社を辞めて職を探すのに失敗したら死のうと思っていたが、5月に切出しナイフを拾ったとき、困ったら人を脅して金を奪おうと思い、磨いて所持していた」と、非行にいたる道程は着々と頭の中に設定されていたわけである。同寮の金を盗んで寮を出て大阪へ行ったが、手配師らしい者の勧誘を受けて大阪が恐くなり、帰郷したけれども、自宅へは戻らず、かねての決定のとおりに自殺するつもりだったが、その前に大きなことをして気を晴ればれしたいと思い、本件に着手したというのが真実に近いと思える。実際には大した再就職の努力をしておらず、いわば少年自身の一方的主観的な危機感によるゆきづまり状態であったのだが、心理的限界状況として作用したものと考えられる。被害者の未知の婦人はとくに被害妄想の投射対象者ではなく、また非行時に幻聴による命令や作為(させられ)体験があったわけではない。その点では、狭意の病的体験にもとづく犯行とはいえない。しかし周囲の人々から虐められた(少年の主観的判断で、軽度の被害妄想であり、非行後もそのことを信じている)ことに対する世間一般への反感・反抗が非行の背景的な動機になっているのではないかと考えられるし、少年自身の言うように欝積された不快な感情を発散させたい気持もあったであろう。なお少年には上記の被害妄想様観念のほかに、「昨年12月頃、寮にいるときに考え事をしていると、頭の中がズーンと10~15秒くらい鳴るような気がして、それと共に前日に職場で叱られた時の上役の言ったことがふいと頭に出てくる。それはハッキリ耳に聞えるのではないが、声みたいな音みたいな感じでひびいてくる。長い会話ではなくて、一文章ぐらいで、誰の声であるとハッキリ言うことは出来ない。叱られた言葉が不意に頭にひびいて出るようなので不快であるが、回数はそう多いことはなかった。2回ぐらいだったと思う。鑑別所へ入ってからも、警察の取調べで叱られた声が頭に出て来たことがある」という。これは被害的性質をおびた軽微な仮性幻覚(言語性幻聴の形式)である。しかし『真性幻覚が精神病に特有で、仮性幻覚は常人にも現われる』という意味でないことは、たとえば、精神分裂病者の多くの幻覚は仮性幻覚であることからも理解していただけると思う。これら以外の異常体験は少年には顕著でない。

〔総括〕

1) 少年の知能は準正常程度であって、とくに事理弁別能力に欠ける知能低格者であるとは考えられない。

2) 性格的には、著明な分裂性性格を基調としている。さらに、性に対する関心が非常に強く、性倒錯行為(フェティシズムなど)がみられた時期が過去にあり、現在もその傾向をもっているといえるだろう。

3) 現在のところ非常に顕らかに発達した精神病状態にあると断言することはできないが、破瓜型精神分裂病の初期を否定することは甚だ危険である。その理由は、

(1) 分裂性性格が中学・高校時代から漸進的に発展しつつある疑いがもたれる。

(2) 「昨年11月頃から早番出勤を嫌って寮母に起されても蒲団にもぐり欠勤することが多い。そのために寮母と顔を合すのが嫌で、食事をぬかしたりする」などの生活態度は破瓜型初期の分裂病患者にみられることの多い現象である。初期分裂病患者は、しばしば怠勤の理由に、身体がだるいなどの異和感を口実に用いるが、その点でも本人と共通している。

(3) 主観的な被害感情をもち、周囲の人々が自分に対して冷たく、皮肉を言ったり悪い噂をすると信じている(軽度の被害妄想的観念)。また言語性幻聴の形式の仮性幻覚らしい体験が軽度にあるらしい。これらは分裂病者に多発の病的体験に共通しているが、現段階ではまだ軽度である。すなわち少年の精神状態には、狭義精神病である精神分裂病(破瓜型初期)を疑うにたる理由があるからである。現在の段階では、心理テストの結果には分裂病的特徴が少いようであるが、精神分裂病の診断にあたっては心理テストは参考的役割を果しているにすぎないので、テストの結果だけを過大視して生活史・体験内容・面接所見などを軽視することは避けなければならない。

4) 殺人未遂事件の動機は、単なるサド・マゾヒズム的な性衝動の発散と解釈するだけでは理解困難な点が残る。前後の状況からみて、少年自身は主観的にゆきづまり状態にあり、自殺を前提として、社会への報復反抗を兼ねて自己の被害感情の欝積を発散させる目的があったのではないかと推論することができる。病的心理による非行としても、個体の道徳的規範力は元来弱いのであろう。

上記のとうり診断意見します。 昭和41年4月1日

山口家庭裁判所 医務室 医師 高松茂

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